【福島で始めた、ほんとうのしごと】訪問看護

東京・港区の社長が“地元に帰って”気づいたこと
IT社長だった俺が、なぜ訪問看護?
東京・港区。
流行のカフェも、最新のSaaSも、投資家の話題も、ぜんぶ目の前にあった。
IT企業を経営しながら、毎日“成長”と“拡大”を追いかけていた。
けれど、どこかでずっと違和感があった
「これは“勝ち”なのか? それとも、“空っぽ”なのか?」
コロナのときだった。
帰省してた福島の実家で、町の空気を吸った瞬間、何かがほどけた。
「最期くらい、家で死にてぇよ」って、じいちゃんが言ったんだ
実家の近くのじいちゃんが、入院中にこぼした。
「最期くらい、家で死にてぇよ…」
そのとき気づいた。
この町には、病院も足りないし、介護も足りない。
ましてや“訪問看護”なんて言葉すら、近所じゃほとんど聞いたことがなかった。けど、必要としてる人は、確かにいる。
なぜ郡山近郊?──「競合がいない」それが最大の強み
俺が選んだのは、福島県・郡山近郊の町。
理由ははっきりしてる。
● 訪問看護の事業所が少ない
● 高齢者は多い
● 看護師は意外と“地元に戻りたがってる”
都会で差別化するのは疲れる。
でも、ここでは、“来てくれてありがとう”と言われる事業ができる。
「売れる場所」じゃなく、「必要とされる場所」でやろうと思った。
看護師採用?地元の“帰ってきたい人”が助けてくれた
東京では年収600万でも採れなかった看護師。
でも福島では、「地元に帰ってこようかと思ってた」という人が意外といた。
● 実家がある
● 子育てしやすい
● 両親の介護も視野に入れてる
そんな理由で、都内からUターンしてくれる人がいた。
あのとき、「地元に職場がないから戻れない」って言ってた看護師が、今、俺の横で働いてる。
1年半で月商600万円。勝因は“目の前の人に向き合った”だけ
「スタッフ6人」
「利用者40名」
「利益率は高くない。」でも、信頼が積み上がってるのがわかる。
「最後まで“この町”で暮らしたい」
そう願う人の家に、ひとつずつ訪問する。
それだけで、毎日があっという間に過ぎる。
数字を追ってた東京時代よりも、
“誰かの今日”を生きてる実感がある。
起業って、カッコつけるもんじゃない
俺は港区で名刺も肩書も得た。
でも、ほんとうの“手応え”は、地元の坂道を軽バンで登ってる今のほうがある。
看護師が笑って、利用者さんがありがとうって言って、
スタッフの子どもが事務所で遊んでて、
「これがしごとかよ」って思うときがある。
でも、これが“ほんとうの仕事”だって、今は言える。
「あの町に、訪問看護ができたらいいのに」って思ってる人へ
たぶん、あなたの地元にもそういう場所がある。
でも、誰もやらない。
なぜなら「勇気が要る」から。
でも、俺がやってわかった。
踏み出したやつにしか、見えない風景がある。
東京に飽きたなら、数字に疲れたなら、
あの町に帰って、もう一回、人生の意味を創ってみてもいい。